バンドプレス代表
らいぞう
<経歴>
- 16歳で初めてギターを購入
- 高校卒業後、プロを夢見てバンドマンの道へ
- 自身の幸運からたくさんのメンバーに恵まれ、形式的にメジャーを経験
- バンド解散後、一旦サラリーマンへ
- 経済的・金銭的自由を求めてフリーランスへ
ギター講師や楽曲提供、編曲、サポートミュージシャン、
その他ウェブ制作、ウェブライティング等で報酬を得る - ウェブマーケティングを学び、当ブログで最高月収51万円を達成
- 音楽活動のためのマーケティングスクールを運営
さて、ここからは「らいぞう」ってどんなやつなの??
僕がここまでどのようにして生きてきたのか?をすべてさらけ出していきます。
先に言っておきます、超長いです。笑
ひとつの書籍のつもりで面白おかしく読んでくれたらウレシイです。
幼少期〜中学生時代
東京で生まれ、埼玉県で育てられたガキンチョ時代。
兄弟はおらず、父親は自営業、母親は看護師。
毎日起きたら祖母しかいないような毎日。
振り返ってみると、祖母の顔が真っ先に思い浮かぶほどの「おばあちゃん子」だった。
特段何か音楽の英才教育を受けていたワケでもなく
至って普通の「凡人」といえる生活。
とはいえ、両親が共働きだったこともあり一人っ子だったこともあり、欲しいものは何でも買ってもらえた裕福な家庭だったように思える。
特に当時は「ファミコン」が大人気でそれに乗じて僕もゲーマーの一人だった。
当時人気だったドラクエやファイナルファンタジーを筆頭に、ただただゲームが大好きで運動音痴などこにでもいるガキだった。
とはいえ僕にはどことなく「虚無感」を感じたまま生きてきたのをハッキリと覚えている。
なぜなら、一人っ子であること、ムダに欲しい物が何でも手に入っていたこと、
そして両親が家に帰ってもいないこと。
こういった環境が、周りの友だちと比べて何かオカシイと感じていた。
やはり友だちとの環境のズレがあってか、
周りに溶け込めない状況があったり、ときにはイジメに遭ったり逆にイジメをしたり、
中学が終わりかける頃には少しずつ自分自身への不満が湧き上がってきていたのを今でも覚えている。
今でも鮮明に覚えているのがこれ。
小学生のとき、「警泥(ケイドロ)」と呼ばれる遊びがあった。
これは友だち何人かで集まり、警察役とドロボー役に分かれる鬼ごっこのようなものだ。
6人位で遊んでいた。
おもちゃの拳銃はたしか2〜3個しかなかった。
僕はどっちの役なのかも決めてもらえず、
ただ何となく周りが逃げ回っているから自分も一緒になって逃げ回っている。
しかし、誰も僕を捕まえようとしてこないし、誰かが僕から逃げようともしてこない。
いわゆる「空気的な存在」にさせられながらも、
必死に友だちの輪に混ざろうと必死によくわからず逃げ回っていた。
すっごく悲しかった。
「もうヤダな、帰りたいな」
「でも言い出せないな」
・・・と思っていたとき、なぜか祖母が迎えに来た。
どうやってココで遊んでいるのか知ったのかわからない。
けど、祖母に抱きついて人目も気にせずワンワン大泣きして家に帰ったのを覚えている。
この思い出からだろうか。
僕は「イジメ」というものにとても敏感になっていった。
「あ、これイジメに遭う前兆かもしれない」とか
「あ、俺が今やってること、イジメじゃないか」とか
そういう、ある種「場の状況を読む」ということができるようになったのかもしれない。
そんなガキンチョのまま、中学へと進学。
初めて「先輩・後輩」という縦社会を体験する。
当然「イジメ」のハードさも小学時代とは段違いに上がってくる。
僕は類に漏れることなく、イジメに遭う。
ときにはまるで仕返しの如くイジメをする側に立ってみたり、
正直何の取り柄もない、少しだけ勉強ができる程度の学生でしかなかった。
高校時代
進学校だったため、高校は中学のエスカレート式。
当然メンツは変わらない。
高校から入ってきた人間が増える程度だ。
中学時代は前述したとおりだったので、高校行ったって何も得られるものは無いと思っていた。
好きな女の子がいても何も行動できなかったし
ゲーム好きな友だちとヒッソリと机を囲って遊んでいた日々でしかなかった。
ただ、僕の中で確実に1つあったのが
「高校という青春時代は人生で1度きりの最高の時代」という気持ち。
僕の中で、何かしら自分を変えようと必死に試行錯誤していたのを覚えている。
そんな気持ちからか、何か自分を変えたい、新しい何かを始めたい。
なんなら「青春時代にふさわしく、女子にモテたい」というわかりやすい気持ちが芽生えてきていた。
そんな高校生活に入って1年目の頃。
そして僕は、何故かは未だにハッキリわからないが「ギターの通販広告」に目が行った。
毎週買っていたジャンプ裏なんかによく広告が載っていた、ソレである。
金も持ってないクセにそのギターを着払いで買ってしまった。
(お年玉の貯金が貯まってはいたものの自分の意志でこんな高額なものを買っていいか判断できていなかった)
たしか19,800円。
今思えば、クソみたいな仕様のギターと
もう断線してるだろ?と言わんばかりのグチャグチャに巻かれたシールド。
よくコレを「アンプ」と呼んだな?と言いたくなるような小型アンプ。
そして初心者にはハードルが高すぎる「音叉」が無造作にポンと投げ込まれたカッコウで家にギターが到着した。
とはいえ、当時の僕からしたら衝撃そのものだった。
想像以上にデカイ。笑
なんか新しい「木のいい匂い」がしてくる。
弦に振れると音が鳴る。
なんだこれは・・・!!
こんなシロモノ、俺が弾けるわけなくないか??
というのが率直な感想だったのを覚えている。
つまり、ギターを目の当たりにした瞬間に諦めようという気持ちが5%ほど芽生えていたことになる。
しかし、普段2〜3万もするゲーム機を買ってもらうのには何の躊躇もしないクセに、
「買ってしまった以上は弾かずに終えるワケにはいかない」という強迫観念のようなものが湧き上がっていたのを覚えている。
両親(というか母親)は勝手に通販で買物をしたことを咎めるよりも先に
「あんたギターなんか始めるの?いいじゃない」と褒めてくれた。
当時の僕はマジのマジで「ギター」の「ギの字」もわかっていない。
どうやって弦を押さえるのか?
このネジみたいなのは何なんだ?(ペグです)
そもそも音程が弦によって違うけど、何の音に合わせたら正解?
っていうか合わせ方はどうやんの??
・・・書いてて恥ずかしくなってくるくらい、
今、自分がよく教えている「初心者さん」の10倍以上は無知の初心者だった自信があった。
母親としても、息子が新しい趣味に目覚めたことが喜ばしかったのか、どういうツテか知らないが音楽を仕事にしている人を紹介してくれてその人の家まで行き、ギターを教わるという生活が月に1〜2回ほど始まった。
結局数回学びに行ったものの、
そもそも自分が何を弾きたいかもわかっていない、
ギターが鳴る音楽、いわゆる「ロックサウンド」に出会ってもいない、
ただ何となくギターを買ってしまった僕にとって、楽器のレッスンは正直楽しくなく苦痛であった。
高校時代2
さて、このままギターをもう諦めるのだろうか?
結局こうやって僕は新しい挑戦もサッサとやめてしまうのか?
そんな気持ちも少なからず秘めつつも、一旦ギターを弾く日々が中断される。
しかし周りの友だちも僕と同じく「青春時代を楽しみたい」という気持ちを持っていた仲間たちだ。
当然のことながら、好きな女子の話題から始まり、どうやったらモテるか?
何か新しいこと始めたほうがいいのか?
友だちと一緒に試行錯誤しつつ、部活に入ったり、夜はゲーセンに行ってみたり、友だちの家に泊まりに行ってワザと深夜まで起きてみたり。
こういうムダな「新しい挑戦」がいちいち楽しかった。
そこで一人の友だちが僕がギターを持っていることを知り、声をかけてくれる。
「おい、X JAPANって知ってる?LUNA SEAは?俺大好きなんだよね」
当時の音楽業界は小室哲哉プロデュース一色といっていいくらいの時代。
僕も流行っているからという理由もさることながら、メロディとしても小室哲哉系の曲が好きだった。
X JAPANやLUNA SEAといったロックサウンドはむしろ嫌いだったように思える。
しかしギターを弾くためにはギターがモロに鳴っている曲じゃないと弾いている気がしない。
「仕方なく」という言葉が一番しっくりくる形で、僕は友だちから教わったLUNA SEAの曲を練習するようになっていった。
ここで初めて、僕は「バンド」という存在を知ることになる。
どうやって曲が普段耳にする形で聴こえてくるのかというアンサンブルの仕組みだ。
きっかけが「友だちの一言」ということを書いていて改めて思い出してみたが、運が良かったと言わざるを得ない。
僕にLUNA SEAを教えてくれた友だちも、僕に影響されてか楽器を始めることになる。
「お前がギターだし、俺ベースでもやるわ」
たぶん、バンドを始めるにあたって最もありがちな理由から、友だちもベースを始めることになる。
(この友だちを以後「アユム」としよう)
ここからだ。
ここから僕の道筋が大きくズレ始めていく。
僕とアユムは高校では決して目立つタイプのグループではない。
むしろイジメられる側のヒッソリ暮らしているタイプのグループに属していた。
よって、僕らは高校内でバンドメンバーを集めようという決断は一切なく、完全に外部からメンバーを探し出そうという結論に至る。
こうして僕とアユムは、「LUNA SEAのコピーバンドと数曲のオリジナルでライブをやる」という目標を持って、高校2年後半あたりから様々な人間と会っていくこととなる。
今思い返してみれば
こんな若い段階で見ず知らずの人間と何十人と会ってきたことは、間違いなくプラスだっただろうと感じる。
僕が今たくさんの人をコンサルティングをしていく中で、相手の表情や話し方なんかでどんなタイプの人なのか割とすぐわかるのも、こういう過去が手助けしてくれていたんじゃないかと感じている。
高校時代3
僕らのメンバー探しの旅は高校2年から始まって卒業に至るまで続いた。
今記憶を遡って思い出してみると、とてもあの量を1年ちょっとで実行していたかと思うと尊敬に値するレベルだ。笑
僕とアユムは、音楽雑誌に必ず載っている「バンドメンバー募集」というコーナーを穴が空くほど読み漁り、二人で一致した相手には片っ端から手紙を書き、連絡を取り、実際に会う。
僕は埼玉県、アユムは東京の町田。ほぼ神奈川だ。
お互いがこんなに遠いのに、バンドメンバーに会うときはどこにだろうと迷わず向かっていた。
大げさじゃなく、たぶんこの1年半余りで100人近い人間と連絡を取り合ったと思う。
そして紆余曲折ありまくったものの、ようやく「ライブ」までこぎつけることができた。
12月26日、渋谷の某ライブハウス。
初めてのライブハウスで初めてのライブ。
僕とアユムはもはや緊張やワクワクや不安、ありとあらゆる感情が混ざりまくっていたと思う。
1曲目が始まって、照明が僕らを照らす。
前を向くと大勢の観客が見てる。
あ、リハーサルじゃない。
俺今本番のステージに立ってる・・・!
とてもじゃないけど前を見れない。
とてもじゃないけど他のメンバーを見れない。
僕は普段家で好きなギタリストの真似をしながらカッコつけて弾いていたのを思い出し、緊張を隠すために必死で頭を振ってカッコつけて弾いていた。
・・・
・・・
そんなこんなライブが終わり、
僕は今までの人生で味わったことのないテンションに見舞われる。
「アユム、俺高校卒業したらバンドやるわ」
「一緒にメジャーデビューしようぜ」
もうわかりやすくて笑えるほど、初ライブのテンションに飲み込まれた高校3年生だ。
もう、悩むことなく率直な気持ちがこのセリフだった。
高校卒業〜地獄のフリーター時代
当然のことながら両親には猛反対された。
「音楽でデビューなんてほんの一握りなのよ!」
誰もが言われたことがあるだろうセリフだ。
しかし僕は自信たっぷりだ。
「いいや、俺なら余裕でやれる!」
当然ベースはアユムを誘って一緒にフリーターをしながらバンド活動という人生をここからスタートすることになる。
なぜ僕が自信たっぷりだったのか?
今思えばシンプルに「何もわからなかったから」という理由にほかならない。
きっと、当時のメジャーデビューがどれだけ難しくて闇深いものか知っていたら、怖気づいて今の僕はいなかったと思う。
高校を卒業し、いよいよ何も頼るものがなくなった。
・自分で仕事を探してお金を稼がなければならない。
・バンドもアユム以外には誰もいない。
そして何より辛いのが「高校生」といったような自分自身の社会的証明となる「肩書き」がなくなったこと。
いうなれば「バンドマン」なんて自分の主張に過ぎない。
傍から見れば「ただの19歳の無職の少年」でしかないワケだから。
そんな状況に飲まれると、バイトしている時はとても心地が良い。
「フリーター」とはいえ、会社に属して立派に働いてお金を稼ぐことができているからだ。
フリーターとなって右も左も分からないまま何も進まない日々が何ヶ月も続く。
そんなある日、アユムから電話が来た。
「俺、バイト先に就職するわ。」
「今の彼女とも結婚しようと思ってる」
唐突にアユムからリタイア宣告を受けた。
正直、そのとき僕は「あぁ、いいなぁ」と思ってしまっていた。
なぜなら、音楽を辞めるとはいえ社会的には立派に正しい方向に歩き出そうとしていたからだ。
なんとなく、僕は独り取り残されてしまったような孤独感さえ覚えた。
僕は地元の製本所や倉庫内作業員などで働きつつ、必死にメンバーを探す日々を送った。
地元の立地的に一番近い都会は池袋だったので、毎回メンバー候補と会うときは池袋だ。
金も大して稼げないまま毎日のようにバイト終わりに池袋に行ったり、家に帰ったら食事もまともに取らずに部屋にこもってカセットテープ型のMTR(いわゆるアナログのDTM機械)に作曲した音楽を録音したりといった生活が続いた。
当時の僕は、正直言って何の肩書もない「孤独」が本当に辛かった。
「大学生」や「会社員」といった何か大きな組織に属していることの安心感がどれだけ大きかったのかを身を以て知ることになる。
まさかの大学合格→大学生へ
10代最後の夏、僕は完全に路頭に迷っていた。
働いていたバイトもちょっとしたきっかけで辞め、バイトを探しながら日々を過ごす毎日。
当時僕は髪の毛が真っ赤だったので、当然まともなバイト先など見つかるわけがない。
バイト先の面接に行く。
「君のその髪の色さえなんとかしてくれれば、採用するんだけどねぇ〜」
こんな言葉を毎回言われる。
しかし毎回僕はそれを言われるたびに断っていた。
おそらく「赤い髪」であり続けることが僕自身が「バンドマン」であり、ただのフリーターではないんだぞ!っていう周りへの必死な主張だったのだと思う。
とはいえ、赤い髪を維持するのにも金がかかる。
美容院に行かなければならないからだ。
気がつくと、金がなく赤い髪すら維持できなくなり、見た目はただの19歳の少年。
そんな状態で地元の友だちの家に集まっては意味のないムダ話に花を咲かせ、気がついたらそのままみんなで泊まって朝という日々がずっと続いていた。
(あれ?俺バンドマンじゃなかったっけ?)
…と自問自答してしまうほど
自分でもわかるくらい完璧に「ただの無職の19歳」がそこにいた。
ある日ようやくバイト先が見つかった。
もう完全に金がなくなり手詰まりの状況に追い込まれた。
もはや赤髪はもちろん、金髪、茶髪すら妥協して
「お願いだからここで働かせてくれ」
という気持ちで臨んだ面接に合格。
晴れて「ドラッグストアの店員さん」になることになった。
そのバイト先はとても楽しく、
気がつくと「バンドマン」だったことを忘れてしまうほど、バイトに没頭するような日々を送り始めてしまう。
そんなある日、母が言った。
「お願いだから大学受験してみない?」
何を言ってるんだ?というのが正直な感想だった。
なぜなら僕は受験勉強なんて卒業してから一度もやっていない。
小学校時代に塾や家庭教師をつけられていたためか、そこそこ勉強はできる方ではあったものの、いくらなんでもNO勉強で受かるほど甘くないだろう・・・笑
という気持ちであったものの、母の懇願に負けて3校ほどなんとなく受験してみた。
・・・まさかの合格が1校あったのだ。
当然その合格を辞退するワケにはいかず、幸せなバイト生活を一旦中断させられながらも大学生活がスタートしてしまう。
思い返してみると
この時点で僕は「音楽」「バイト」「大学生」という三足のわらじを履いて生きていくことになった。
しかし大学生になったという喜びがあった。
なぜなら「大学生」という「肩書き」が手に入ったからだ。
当時の赤い髪だった僕は必死に「バンドマン」というアイデンティティを守り続けていた。
しかし大学生というアイデンティティが備わることで「俺はバンドマンだ、フリーターではない」というプライドはいつの間にかなくなっていたのかもしれない。
2浪扱いで始まった大学生活で得たものは大きかった
正直言って大学で学びたいものは何もなかった。
受験的に難易度が低そうという理由で適当に選んだ学部・学科だ。
そんな講義を学ぼうという意欲は申し訳ないが1ミリも持ち合わせていなかった。
当時の僕は上述の通り、バンドマンでありバイトもしており、大学生だった。
自他共に明らかにわかるほど、僕はそこらへんのピカピカの大学1年生とは人生経験豊富なアニキ的な感じだった。
(まあ事実2浪している時点で年齢的にもアニキなのは間違いないわけだが…)
僕自身、大学でやることは1つ。
バンドサークルに入ること一択だった。
なぜかというと、サークルに入る本当の目的は「本気でやっていけるバンドメンバーを探すこと」だったから。
そう、この時点でまともにバンドもやれていなかったのだ。
迷わず軽音サークルに入り、サークル最優先のキャンパスライフを満喫することになる。
自分で言うのもアレだが、
これからバンドを始めたいと思ってサークルに入ってきた子もしかり、先輩方と比べても、僕のテクニックや経験は圧倒的に差があった。
サークル内でメンバーを探していたものの、さすがにすぐに出会えることはなかった。
相変わらず雑誌のメンバー募集と並行して、当時携帯アプリでバンドメンバーを募集しているサイトがあり、そこを頼りに変わらずメンバー候補と会っては自然消滅を繰り返す日々は続いていた。
大学に入り、サークルに所属したことで自分の苦しかったバンド生活がネガティブからポジティブなものへと変化していった。
なぜなら自分の今までのバンド経験、バイト生活そういったものが同級生の大学生たちには肯定されたからだ。
救世主ともいえる二人の存在
大学生活が始まりつつも、僕としては
「バンドがうまく軌道に乗らないなら生きててもプラスじゃない。」
と、完璧に断言できるほどバンドに執着していた。
ある意味、本当にバンドがやりたいんだなと自分自身感じるものがあった。
前述したとおり、雑誌やアプリでメンバーと出会い、別れを繰り返す中
1度、全メンバー揃っての「人生で二度目のライブハウスのライブ」が実現した。
やはり、そのライブを最後にメンバーはそれぞれ散り散りになっていく予定だったが、1人ベースの男が残ってくれたのだ。
その男はサウスポーで、考えられないほど上手かった。
今まで僕は「メンバー候補」としてなら数え切れないほどのメンバーと音を合わせてきた。
もう「格が違う」とはこの男のためにあったといっても過言じゃないくらい、テクニックも知識も経験も圧倒的すぎた。
そんな彼(マサと呼ぼう)、マサが今度は率先してバンドメンバーを探してくれることになった。
やはり経験の違いなのか、僕の運の良さなのか
今度はマサと同じくらい経験のある女性ボーカルが入ってくれた。(マリとする)
マリがドラムを探してきてくれて、あっという間にバンドが形を作っていく。
ここまで苦労して何も成果をあげられなかった僕の活動って何だったんだろう…と思うくらい、ビックリするほどトントン拍子にバンドが加速していくことになる。
マリの作詞作曲がとにかくすごい。
すごいというか、早いし曲も良い。
そしてアレンジャーにはマサという存在。
そしてマリが今まで活動してきていたライブハウスを紹介され、千葉・本八幡にある某ライブハウスを拠点にこのバンドがスタートすることになった。
名前は「HONEY BLOOD」。
当時のメロコアやパンクの流行りに乗っかりつつもマリの歌唱センスとマサの激ウマテクニックがあったおかげで「インディーズ」の仲間入りを果たした。
今思い返すと、僕の運が良かったんだと思う。
普通にやっていたらこんな出会いはなかなかない。
自分でいうとダサイが、純粋な気持ちで「ただバンドがやりたい」という想いだけで今まで走ってきたことを神様が見てくれていたんじゃないか?と思えるほどの奇跡的な二人との出会いだった。
余談だが、「SLAM DUNK」の赤木キャプテンがずっと全国制覇を目指してがんばってきた結果、桜木・流川・宮城・三井が集まったのと、僕的には当時の自分がリンクしてしまう。
バンドは順調、そしてサークルの部長に就任。完璧な反面教師へ。
さて、HONEY BLOODが順調に活動し始めた頃、大学2年生。
この頃にはサークルの部長に就任することになった。
単純に、出席率の高さとギターのテクニックが誰よりもあるからという理由だ。
この頃の僕のバンドマンとしての生活は以下のとおり。
- 毎日基本的に大学
- 大学終わりに時間がある曜日にバイト
- 土日は基本的にバイト
- 毎週1回スタジオ
- 月1〜2回ライブ
しかも大学は埼玉の奥地にある。
そしてバイト先は吉祥寺だ。
バイトから通勤すると1時間半以上かかる。
そして帰宅はまた埼玉県の実家。
自分でもよくやってたなと思うほど激務だった。
しかしこんな激務を難なく続けられていた一番の理由は「ちゃんとしたバンドを組めていた」ということだ。
さて、大学でサークルの部長になった僕。
合宿やライブハウスでのライブイベントなど、わかりやすいイベントはすべからく実施してとても充実したサークル活動だったように思う。
しかし「部長」という立場に調子コキコキな僕はこうなっていった。
- 部長のクセに寝坊多発
言い訳でしかないが、多忙な生活によって校内のサークルライブなんかにも遅れるようになる。 - サークル内の女の子に手を出す
しかも1人ではない。1人目とこじれて2人目と付き合い、結果別れる。 - 当たり前に後輩の信用はなくなっていく
当時大勢を集めてその前で喋ることに不慣れだったのもあり、部長としての威厳は皆無。
幼少期の頃に語ったように「あ、俺今みんなから離れられていってるわ」という自覚は完璧に把握していた。
自分自身で楽しかったはずのサークルを居づらくしてしまった。
そして1〜2年生でサークルに重きを置き、講義をロクに受けていなかったツケが回ってくる。
3年生になった僕に「留年」という恐怖が見え隠れするようになる。
「二浪・一留年」というエリートコースはさすがに歩むわけにはいかない。
3年生の頃には部長は後輩の2年生に代わり、僕以外の同級生メンバーも自然とサークルにはあまり顔を出さないようになっていくため、僕もそのままサークルはフェードアウトしていった。
この頃になると、「HONEY BLOOD」は解散し「mellowsgarden」というバンドに加入することになる。
(のちに、このバンドで形式的なメジャーデビューを果たす)
「留年」が見えてきているにも関わらず、
バンドが順調に進むにつれて、大学への出席率はグングン落ちていく。
大学に行ってもただ休みにいくだけの場所と化していた。
出席カードをもらって友だちと喋っていたり、単位の計算をしつつ、落としても大丈夫そうな講義の日は友だちとスロット三昧なわかりやすい大学生になっていた。
そして4年生にして120単位以上残し、1年間のうち1単位も落とせないという壊滅的な状況に追い込まれる。
当然サークルなんて「サ」の字もない。
結果、無事に単位を落とすことなく卒業し、サークルも特に何も好転することなくサラッと「元部長」は消えた。
大学生活において、サークル活動で得たものは非常に大きかったように感じる。
それは、「組織の上に立つ人間の難しさ」である。
サラリーマン時代、店長やSVといった立場を経験してきたが自慢じゃないが圧倒的な結果を残せた。
たぶん僕が店長として優秀だったのは、サークル時代のクソ部長経験が反面教師として生きたからに他ならない。
・・・ふう。
ここまで読んでいただき、本当に感謝したい。
以上が僕の幼少期から本格的にバンドマンという人生を歩み出すまでの「点と点」でした。
こうして僕のバンド人生は25歳という年齢に差し掛かってようやく順調に歩き出した。
紆余曲折ありつつも、他人から見ても「バンドマン」と認識される人間に到達することができたのだ。
思い返してみた結果、僕は「考える」ことと「運の良さ」が自分を形成していると感じた。
イジメを経験し「なぜ僕はこういう目に遭ったんだろう?」と考え、
取り柄のない自分が嫌で「何か自分を変えたい」と考え、
アユムという友だちによって「音楽とギターに出会う」という幸運、
自己を守り続けるために「赤い髪」であることに拘ったり、
マリとマサという最高の出会いがあり、そこからつながっていくmellowsgardenというバンドとの出会い。
これらは紛れもなく「運が良かった」と言わざるを得ない。
再び完璧な「フリーター時代」へ
いよいよここから後編へとなだれ込む。
正直ここからが僕の今の生活スタイルを確立していった内容になる。
変わらず、1つの「読みもの」のつもりで読んでくれたらウレシイ。
さて・・・。
二浪した男が大学を卒業したら普通に考えて25歳あたり。
大学生ならもはや当たり前に行われている「就活」は当然僕はやらなかった。
理由は言うまでもない、バンドで成功したかったから。
そうなってくると、社会的に見ると僕は「25歳・ドラッグストアのアルバイト」という状況だけが残されるわけだ。
バンド、バイト、大学と三足のわらじを4年間必死に履き通した僕に残ったものは
- mellowsgardenというバンド
- 変わらずドラッグストアのバイト
この2つに絞られていく。
(もちろん「大卒」という学歴もだが、そこは重要ではない)
思い返せばこの時、
19歳の、右も左も分からないまま始まった「バンドとバイト」という生活に戻ったワケだ。
しかし決定的に違うのが「経験」と「持続」だと思っている。
mellowsgardenというバンドもこの時点で2年以上続いているし、ドラッグストアのバイトも6年目に突入していた。
そして「どうやってバンド組むの?」という状況から、「ライブは当たり前」という2つのバンドによって得られた経験の違いが僕のモチベーションを高く保ってくれていたように思う。
基準が上がれどバンドとバイトの生活は平行線。
バンドがようやく軌道に乗りつつ、僕はバイトを続けていた。
大学時代と比べたらやることが2つに絞られたため、非常に明確で「楽」な生活を送っていた。
「このままやっていけばいずれ売れるだろう」と、なぜか勝手に思っていた。
朝7時半に起床。
朝飯は食べず歯を磨き顔を洗い、着回されたシャツとパーカーに袖を通し、職場でそのまま使える黒のズボンを履く。
朝が弱いのに寝不足気味、朝飯抜きといったコンボで二度寝の誘惑にギリ勝ちつつ家を出る。
フラフラ歩いて吉祥寺までのバスに向かう途中、自販機でコーヒーを買いタバコを吸いながらバス停に向かう。
バスに乗り、9時半頃にはバイト先の駅に到着。
職場に着いて制服に袖を通し、タイムカードを打刻し、勤務開始。
休憩中にはバンドメンバーからの連絡を確認したり、彼女から夜はどこで落ち合うか?など、携帯をいじりながら食事をとる。
18時にバイトが終わり、バンド活動が何もない日は駅前をフラフラし、楽器屋を見たり本屋で音楽雑誌を立ち読みしたり、たまにパチンコ屋に寄ったり、なんとなく時間を潰して21時頃に帰宅。
帰りのコンビニで買った弁当を食べ、シャワーを浴び、眠りにつく。
そんなバイトの中、週1回バイト終わりの20時から3時間スタジオがある。
mellowsgardenのリハだ。
それが毎週の楽しみだった。
その日だけは重たいギターと機材の箱を持って、バスに乗り込む。
重い荷物を持って普段の通勤ラッシュのバスに乗ることで、「俺はバンドマンとして生きているんだ」という実感が保たれていた気がする。
そして毎月ライブを定期的に出演しているものの、お客さんはほとんどいなくて毎回チケットノルマを払い、メンバー同士でその日の反省会を込めた打ち上げがある。
その翌日、眠い目をこすりながらも変わらず朝10時のバイトに出勤。
こんな毎日を繰り返していた。
この当時うっすらと心の底で感じていたことは
「思っていた年齢よりも、売れるまで時間がかかってる」ということと、「全然動員増えないな‥どうすればもっと人気が出るんだろう?」という2点だった。
建前上、「バンドマンとして順調に進んでいる」ように振る舞っていたものの、少しずつギャップに負い目を感じ始めていたのを覚えている。
変わらない日々へ疑問
この頃から僕は徐々に今のバンド活動と仕事への不安・不満を抱くようになっていった。
どのような生活をして、
どのように不安と不満を感じ始めたかというと以下のとおり。
僕は大学を卒業してからというもの
バンド活動は大して変化もないまま、そして生活も変わらないまま過ごしていた。
平均的に見ると週4〜6日でバイト。
バイト先は19歳から始めたドラッグストアのままだ。
一番初めの時給は890円。
そして当時25歳の時給はたしか920円。
我ながら思うのは「なぜもっとイイ時給のバイトに転職しなかったんだ?」ということ。
ちなみになぜバイト先を変えなかったかというと
- 立場的に上だったため、働きやすかった
- シフトがかなり自由に組んでもらえた
- これらの逆で、新たな職場で下っ端からやっていく自信がなかった
という理由からだった。
この職場がありがたかったのは、
10〜21時までという超ロングなシフトまで組んでくれたことだ。
これによって、8時間以上はすべて残業扱いになるため、本来の時給以上に稼ぐことができた。
さらに、1日で多くの時間を働くため、同じ手取りでも休日を多く取ることもできたわけだ。
このありがたいシステムによって僕はライブが多い月はロングシフトを組んでもらい、休日をライブに当てていた。
なんだかんだで「ほぼアルバイトの日々」に加えてスタジオ練習、ライブ、彼女とデートなど、かなり充実した日々を過ごしていたのは事実。
自分なりに音楽とバイトを両立し、頑張っているつもりだった。
しかしどうやっても残高が増えないのだ。
バンドや浪費で毎月給料日直前になると、ほとんど手持ちのお金がない。
毎回毎回25日の給料日が待ち遠しかった。
「明日からライブ2連チャンですよ」
そうやって聴くと
バンド活動としては端から見れば
忙しくて順調そのものに見えて聞こえはいい。
バイトの同僚も社員さんも
「バイトもバンドも一生懸命ですごい」と褒めてくれる。
しかし僕の心はちがう。
ライブ2連チャンといったって
別にファンがたくさんいるステージじゃない。
ほとんど0人に近いような客席。
客席にいるのは隅っこで申し訳なさそうにライブを見ている身内のお客さんが1,2人。
加えて対バンのメンバーが客席で僕らのステージを見ながら時間つぶしをしている。
そんなライブを終えて、
精算時、ライブハウスからそれっぽくアドバイスされ、
メンバー一同なんとなく軌道に乗ってる気になる。
しかしチケットノルマほぼ全額をメンバーで割り勘。
帰りの打ち上げで
「来月こそは動員を増やしまくろう」
なんて話しているものの解決策は別にない。
なんとなくやり切った気になって自宅に帰るのは3時とか4時。
そしてまた朝からバイト。
そんなライブを繰り返したんだ。
苦楽をともにした仲間との離別。
この頃、すでに26歳あたりになっていたと思う。
そしてぶっちゃけると、すでにmellowsgardenというバンドは一度この時点で形式的なメジャーデビューを果たしていた。
「形式的」というのは、メジャーデビューというのは日本レコード協会に加入しているレコード会社から一度でもCDを販売すれば、売れようば売れまいがメジャーデビューなのだ。
ボーカルが自社を立ち上げ、無理やり自分たちで自分たちを売り出すという強行突破をしたということだ。
なぜそんな強引な行動に出たかといえば、言うまでもなく「いつまでたってもバンド集客ができなかったから」にほかならない。
(しかし今思えば、「マーケティング」を知らない僕らは敗北するのは当たり前だったといえる。)
そしてある時期から僕は「バンドのお荷物」なんじゃないか?という位置づけになりかけていた。
というのも、ライブをやるたびに「ギターへのダメ出し」ばかりが目立つようになっていった。
「音が良くない」
「アレンジが微妙だ」
「ミスが多い」
などなど、何かに付けてギターへのダメ出しがライブハウス側から飛んできていた。
振り返ってみて思うのは、なぜ僕がダメ出しばかりされ始めたか?今ならわかる。
前述したように、毎月毎月お金が無い、音楽をやればやるだけ赤字。
そういった生活面での不安がバンドへの集中をさせてくれなかった。
正直「バンドどころじゃない」というのが当時の本音だったと思う。
そしておそらく、毎回毎回ライブ動員が増えないこと、ゆえに大きな会場にも立てないこと。
メンバーのそういった不満、ストレスが、ダメ出しされ続ける僕に向いていったのも多分にあったと思う。
そしてある日の夜、リーダーだったボーカルに呼ばれて二人きりで話す機会が訪れた。
ボーカル
「他のメンバーとも話した。らいぞう、あのさ・・」
僕
「うん、言いたいことはわかったよ。」
ボーカル
「そっか・・」
僕
「いいよ、俺、やめるよ」
こういった流れから、僕はこのバンドから「脱退」したのだ。
僕がギタリストとしての最後のライブが終わった後、簡単にメンバーと最後の打ち上げをする。
なんとなくみんな「いつも通り」を装うものの、どことなく違う空気感なのは伝わってきた。
そして深夜3時頃、家に帰る。
自然と涙がこぼれて止まらなかった。
もはや頭の中はグチャグチャでどれが涙の理由なのかわからない。
たぶん1時間以上泣いていたんじゃなかろうか・・・。
こうして、5年以上1つのバンドで頑張ってきた時間が止まってしまった。
明日から「ドラッグストアのバイト」という選択肢しかなくなった。
ちなみにその後のmellowsgardenだが、
僕の後任は僕もよく知る先輩ギタリストが加入したが、あっという間に解散した。
他の人から言われたことで唯一誇れるたことが「らいぞうのギターじゃないとあのバンドじゃないよ」という言葉だった。
給料日直後の銀行残高をみて我に返った瞬間と決意。
それから僕は、しばらく放心状態で心にポッカリ穴が空いたような気持ち・・・というのは散々泣きまくった日で終わらせた。
そんなこと言ってる場合じゃなかった。
26歳になって改めて「バイト」だけの人間になってしまったわけだから。
前編でもお話したとおり、
僕は当時「周りからの見た目」にどうも負い目を感じ続けていた。
つまりそっくりそのまま世間の目で見れば「26歳のフリーター」でしかないわけだ。
ソッコーで今まで知り合ってきたバンド仲間に片っ端から連絡を取る。
あいつともう一度組みたいなと思ったのがHONEY BLOODのドラマーだった。
彼とバンドを新たに結成し、ボーカルとベースは新規で見つけて再び「バンドマン」になった。
そこから紆余曲折あり、僕は結果的には「コトノハ」というまったく新しいメンバーと新しいバンドを作った。
時系列は前後するが、結果的にそのバンドはO-EASTという大きな会場でライブをやるまでに成長した。
バンドは「コトノハ」を立ち上げて軌道に乗り始めたものの、
相変わらず毎月給料日前日にはほぼ金も底をつきている日々。
彼女ともいい加減「結婚するのかしないのか?」という空気感が漂い始める。
そしてある日の給料日。
ようやく待ちに待った25日の給料日だ。
ソッコーで残高を確認し、最低限のお金1〜2万円だけ引き出して27日の諸々の引き落としを待つ。
そして27日。
クレジットや楽器、車のローン、
家賃光熱費などの引き落としが完了し、残高を見てみると
「19,430円」
・・・言葉を失う。
「え??」
「あんな頑張ったのにあと1ヶ月まるまる2万以下で過ごすの??」
「こんな生活また来月も送るの??
いつバイトを辞められるんだ?
バンドは毎回赤字。黒字にすることなんかできるのか??」
給料の残高を見て我に返った。
こんなのただのフリーターじゃん。。
バンドマンとは肩書だけで何も進展してないじゃないか。
かれこれ19歳から似たような生活を6〜7年送ってるぞ??
ライブ=出費でしかない状況に
正直「来月はライブがなければいいのに」
なんて思ってしまう。
もう完全に心が本末転倒していた。
このままじゃ本当にヤバイ。
バイト先にも「もっと時給上がらないですか?」なんて言ってみたり、「もっとロングシフト入れてくださいよ」と無茶を言ってみたり、カネがない+バンドがうまくいかない苛立ちを職場にぶつけていたりもしていた。
とはいえ、バイトの時給なんてどれだけ上がっても100円が限界なのはどの業界も共通だ。
しかしバンドで黒字に持っていくなんてできない。。
まずお金に余裕を作ろう。
じゃないと精神が持たない。
バンドどころじゃないわ・・。
そこで初めて僕はインターネットでこんな行動に出る。
「稼ぎ方」
「収入の増やし方」
「儲け方」
などといったキーワードで検索を繰り返し、
できれば今の生活を維持したまま、
稼ぎだけ増やせるような何か方法を模索し始めた。
今思えば完全に目標を見失っていたのは間違いない。
バンドマンで最も多いのが、だんだん職場が主体になって音楽から遠ざかっていく人だ。
今思い返すと、僕にロックを教えてくれたアユムも早い段階でコレになっていたのだろう。
彼は20歳前後でこの決断をしたんだから、ある意味賢い選択だったと思う。
それに引き換え僕は、26、27歳という年齢で「初めて」この事態に直面したのだから。
ネットの稼ぎ方ほどあやしいものはない
ここからは主に僕が「カネが無いことへの不安によって行動した経緯」というセクションに入ってくる。
僕はいい年齢にも関わらず、「典型的なカネのないバンドマン」のままだった。
いい加減その状況を周りが許してくれなくなってくるのだ。
彼女はもちろんのこと、
職場からも「らいぞうくん、社員にならないの?」なんて言われたり。
そんな状況でも「楽して金を儲けたい」という甘ったれた考えから、
インターネットで「稼ぐ」系の調べごとをしていったわけだ。
ネットでそういうワードを調べていると、たいていは
「ネットで簡単副収入」
「アフィリエイトで月収100万円!」
「ネットで不労所得」
「誰でも簡単にできる副業」
こんな情報ばかりが出てくる。
当時こういうワードに耐性がなかった僕は
まるで俺だけが見つけたとっておきの金策と勘違いしてしまう。
さっそく本屋に行ってそれっぽい情報誌を立ち読みして、良さそうな本を1〜2冊買って帰る。
もうすでに数カ月後にはカネに困らない自分がいるような気分になっていた。
家に帰るやいなや、片付けもせず着替えもせずさっそく本を食い入るように見てみる。
しかし本の題名とは裏腹に
やることがわからなさすぎる。
なにから始めていいかわからないし
完全に0円で始められるようなものでもなかった。
ただでさえカネがないのに
よくわからない怪しいものに手を出して時間を潰すより
とにかく今はバンドのギターをもっと良くするためにも
練習に時間を使ったほうがいいんじゃないか?
結果的にバンドで黒字を作るには
そっちのほうが早いんじゃないか?
本を見て直感で「できっこない」と思った僕は
このように「言い訳」をして、普段と変わらない生活に戻った。
最後のバンドからサラリーマンへ
そんな僕だが相変わらずコトノハのライブは順調に毎月1〜3回ある。
mellowdgardenの頃と比べて違うのは、
みんな「動員を増やすこと」に意識を向けていたこと。
どんなに少ない動員でも10人を切ることはなかった。
しかし余計僕らを追い詰めたのは「その先」だった。
最終的に動員を増やして大きなステージに立ったが、それを「継続」することができなかった。
徐々に動員は減っていき、僕らのモチベーションも少しずつ下がっていく。
結果、コトノハは「解散」した。
もうダメだった。
さすがにもう一度ゼロからバンドをやり始めることは周りが許さなかった。
というか僕自身も今までのバンド以上のバンドをもう一度作れる気がしなかった。
彼女としっかり結婚していく方向で生活を変えた。
一旦ここで僕は「フリーター」から「正社員」の道を歩み始めることに。
(ちなみに入社先はドラッグストアではなく、まったく別の会社だった)
もうバンドマンじゃない。
ただの会社員だ。
割り切るのにものすごい葛藤があったのは覚えている。
とはいえ、毎月使う金額が減ったことと、バイトよりもそこそこ給料が良いことで、銀行の残高はバイト時代ほど枯渇するようなことはなかったが、決して貯まり続けるワケでもない。
そんなサラリーマン時代を送っていく。
やはり僕はサラリーマンという窮屈で退屈な人生が嫌いなのだろう。
サラリーマンになって1年ちょっとですぐに音楽をまた趣味で始めてしまう。
(この頃には結婚に向けて順調だったため、奥さんに咎められることもなかった。笑)
ここまで来ると、「サラリーマンが趣味で音楽をやっている」状態とほぼ変わらない。
趣味とはいえ、経験値が普通じゃないといったところだろうか。
事実、加入したバンドもかなりギタリストを厳選していた中で僕と音を合わせて即決してくれた。
この段階で過去の「ダメ出しばかりのギター」は完全にいなかった。
そう考えると、やはり当時の生活における精神状態が一番影響していたんだと思う。
さて、そんなこんなで「バイト」が「正社員」に変わったくらいで普段の生活は実はさほど変化がなかった。
結局音楽もやっているからだ。
当然お金が貯まることもなかった。
ふと見つけたとある男のブログ
サラリーマンも板について、店長、SVと昇格していく傍ら、僕の口座残高は相変わらずお金が貯まらなかった。
シンプルに金があればあるだけ湯水の如く使っていたからだとは思うが、いかんせん金が増えない。
ある日、仕事の合間にApp Storeで「金の稼ぎ方」的な検索をしてみた。
すると、いかにも胡散臭い「稼げます系」の素人が作った書籍のようなアプリがいくつか出てきた。
ほぼ半信半疑でサラーっと流し読み。
で、たいがい著者のブログや関係するリンクに飛ばされる。
そんなこんな行き着くとこまでサーフィンしていたとき、一人の男のブログにたどり着いた。
彼も「カネを稼ぐ」ことに成功した男という感じ。
正直理由も根拠もないが、
どことなくその人のブログを読みあさり、メルマガにも登録した。
今思うと、
無数の情報に振り回されまくってきたから
1人の人間の情報だけに集中しようという、僕の中の自己防衛本能だったのかもしれない。
そこで初めて「ビジネス」というものが何なのかを知った。
なぜ今まで本の情報を読んでも自分ができっこないと思っていたのかピンときた。
なぜバンドが今まで誰もお客さんが来ないのかピンときた。
ようするに、
「楽して稼ぐ」とか「誰でも簡単に」とかいう謳い文句はウソで
そもそもこの「ビジネス」がわかってないと話にならない。
なぜなら「バンド活動」もビジネスだったからだ。
考えたらわかる。
自分たちは必死にお客さんを呼ぼうとしていた。
その理由は2つ。
- バンド活動で赤字になりたくなかった
- シンプルにお客さんがたくさん入っているライブがやりたかった
これだけだ。
身内であれファンであれ、
「お客さんにお金を払ってチケットを買っていただく」
この行動をさせる時点で商売じゃないか。
今までのエセとも言える情報の上で思い切り踊り狂っていた自分を客観的に見ることができた。
そしてなぜ今まで何も変わらない毎日だったのか、一気に覚めた感じがした。
「ビジネス」という言葉に気付かされ、渾身の「ポチり」をかました日。
ようやく開けた。
今までの僕は「ビジネス」をしていなかったということに気がついた。
バイトもそう。
あくまで「時間と労働力」を可能な限り提供して、その対価でお金をもらうという「被雇用者」でしかなかった。
バンドそうだ。
身内にカネを払ってもらっているのに目先の「動員数」しか頭になく、1人2人来ている身内にしっかりと感謝ができていなかった。
ライブ自体もそうだ。
「お客がほぼいないサムいライブ」という前提でステージに立っていた。
当然、その1人で来た身内からすればもう次は行きたくないって思っていたはずだ。
だから続けてライブには来てくれなかった。
色々過去を振り返って、「当然だ」と思った。
なぜなら、この男のブログとメルマガで「お金をいただく=すべてビジネス」という根本が理解できたからだ。
お客さんが買い物をして僕のレジに並ぶ。
レジを打ち終わり「2000円です」と伝えお客さんはお金を払う。
その後、必ず「ありがとうございました」と伝えるように教育を受けていた。
そして正社員の今、僕も同じように教育をしている。
その理由が完全に理解できた瞬間だった。
また、その男のビジネスは
インターネットを使ったものだった。
僕の中で「サラリーマンしながら音楽」という今の生活を保ちつつ、収入を増やしたいという願望があった。
よって「自宅でできること」が最重要だった。
そういう意味でも「ネットを使ったビジネス」というモデルはこのときの僕にとっては完璧なものに見えた。
まさに、、何かこう目の前に新しい扉が開きつつあって
その扉の先が神々しく光が差し込んでいるようなよくある扉をイメージしてもらえるとわかりやすい。笑
バカじゃないのかと思うかもしれないが
そのくらい僕にとっては新しい扉を開ける瞬間が訪れた感じだった。
それを目前にして、あとは一歩踏み込むのみ。
しかし無料では情報は手にできない。
その男が提供するビジネス指南書とでもいうべき教材は5万円だった。
僕はそれを買うかどうか死ぬほど悩んだ。
「どっか探せば無料でも調べられるんじゃないか?」
「いやしかし、そうなるとまた別の人間の情報を聞くことになる」
「もしこの男と言っていることが違うと、右も左も分からない僕は完全に迷う」
「そもそも買ったところで本当にまともな情報が手に入るんだろうか?」
「しかし、ここで諦めたらまた今までの何も変わらない生活に戻るだけだし…」
迷った。
とにかく迷った。
そして・・・
「ポチッ」
自分の中で「もしそこらへんに載っている情報だったとしても、
もう詐欺にあって5万円失ったと思えばいいや」
そんな覚悟のもと、購入した。
僕の中で「ITビジネス業界への参入」という今まで経験したことのない扉を開けることになる。
意を決した「ポチり」を尻目に、周りの冷ややかすぎる視線。
意を決して「ITビジネス」を学ぶことにした僕。
やるしかない。
5万という大金を払った。
ただでさえ借金があるのに
さらに地獄のリボ払いで購入だ。
もうやるしかない。
会社の同僚にも伝えてみた。
「俺はビジネスをこれからやるんだ!」
「雇用じゃない、自分で稼げる人間になる!」
「バンドだってビジネスだからね、これからもっとバンドが良くなるよ」
「…急にどうした?何か怪しいことでも始めたの??」
・・・応援されるかと思いきや、
何か怪しい勧誘にでも遭ったのかと心配された。
人によっては「こいつ危ない方面に走り出したぞ」と遠ざかられる始末。
家に帰って僕がパソコンで何か新しいことを始めると・・・。
彼女「ねえ、何やってるの?何か変なことでも始めたんじゃないでしょうね?」
僕「いや、今よりももっと稼げるようにビジネスを勉強しようと思ってさ」
彼女「え??ネットで稼げる保証なんてないでしょ?大丈夫なの?」
僕「大丈夫だよ!!そんな風に言わないでよ!」
・・・
こんなやり取りがたびたび起こった。
とにかく辛かったのは
身内が応援してくれず、怪しい何かに手を出したと思われていたことだ。
僕は人に流されやすい性格だ。
だから、周りからあれこれ言われると
いつのまにか「もしかしたら僕はあの男に騙されているんじゃないか…?」
という疑念が生まれてしまう。
しかし「ビジネス」という思考は間違っていないはずだ。
今までを考えてみろ。
何一つ好転しなかったじゃないか。
みんなが「今まで通りがんばっていけ」と言うけど
5年以上変わらないことを、今までとおりがんばったってとても何かが変わる気がしなかった。
しかも、もう買っちゃったんだ!
それも、3,000円とかそんな買い物じゃない。
5万円だ。
ライブのチケットノルマ以上の金額を
一人で全額払ったんだ。
ここでやっぱ辞めて今まで通り・・・
なんてとてもじゃないけど納得ができない。
そんなこんな、家に帰っても
肩身が狭い状況で、彼女が寝てからヒッソリとITビジネスを始めるにあたっての勉強、そして行き詰まればググる。
こんなことを繰り返し、
まるで「バンドとバイト」の頃のような就寝時間と変わらないような毎日。
実践してみるものの、ゴミ同然の素人ブログにアクセスなんか無い。
そうやって、
肩身が狭いながらも、僕なりに勉強しつつ日々過ごしていった。
その男の教えを簡単に話すと、こうだ。
ブログやSNSをはじめて、情報を発信していく。
自分に関心をもつ人にメルマガを購読してもらい、より濃い情報を届ける。
そして自分の商品を考えて作って、必要のある読者にはメルマガで買ってもらう。
・・・というもの。
そしてこれは「マーケティング」なのだと教わる。
「ビジネス」だけでも新しい響きなのに
「マーケティング」ときたもんだ。
しかし、新しい世界に完全に飛び込んだ自負があって
「俺はお前らとはちがうんだ」
「俺はこうやって金を払って学ぶという努力までできるんだ」
と、内心職場の人間を“あえて”下に見ることで
5万円の教材を買って
今までよりもツライ日々を送っている自分を
なんとか正当化している自分がいた。
さて、その男のマーケティングとおり
ブログをはじめて
メルマガもはじめて
SNSもまともに更新するようにして
日々、「マーケティング」をしているつもりだった。
しかし想像すればわかるが、
ド素人が書いたブログなんかが読まれるはずがない。
しかも、
ただ日記を書いてもしょうがない。
それこそ、アクセスを集めたいからといって
身内に読んでもらったってしょうがない。
これこそ身内で固めたライブと何ら変わらないのだ。
当然メルマガ読者なんか誰一人登録されない。
当たり前だ。そもそもアクセスされてないんだから。
ブログを書くにもサーバー、ドメインといった費用がかかる。
メルマガも毎月数千円程度だが、費用がかかる。
アクセスが来ないブログを書き続けて
だれも登録していないのにメルマガ代でお金を失う。
そのくせ毎日の時間だけはかかる。
正直苦しかった。
彼女にも隠れてブログを書いて、
職場では「どう?あれからビジネスは順調?」
なんて聞かれても「いや、全然うまくいかない」
と答えるしか無い。
とにかく商品が売れる以前に「アクセス」が集まらない。
僕なりに読まれればそれなりに良い情報を書けているつもりなのに、
どうやって検索されて僕のブログに来てくれるようになるのかわからない。
ようやくブログが読まれるもののさらなる追い打ちが。
僕は教材を読み込んだ。
毎日の通勤中や休憩中なんかはひたすら教材の中の動画やPDFを見る。
そして並行して色んな「アクセスの伸ばし方」を調べては読み、調べては読み。
そんなこんなで正直会社の仕事や趣味に化けかけた音楽に集中できていなかった。
久々にスタジオに行ったときも、正直言って何か心ここにあらずのような自分にイライラするし、家に帰ってもまたPCとかち合う格好になる。
そんなある日、何やらアクセスが突然増え始めた。
ある記事が奇跡的に読まれるようになったっぽい。
僕は歓喜した。
今まで一日30くらいのアクセス数しかなかったものが
「90」「120」みたいな数字が目立ち始めた。
アクセスが伸びるとともに、
メルマガに登録してくれる人まで現れるようになってきた。
「これで俺も成功者だ!」
そんな気にさえなっていた。
しかし・・・
今度はメルマガが読まれない。
メルマガのサーバーを開き、
開封されたかどうか?
このメルマガのこのリンクはクリックされてるか?
毎日ワクワク半分ハラハラ半分でチェックしていた。
が、登録してもらったのに
まったく開封もされなければクリックもされない。
「なんのためにメルマガ登録したんだよ!」
「読まないなら登録すんなよ!!」
と、読者にイライラする日が続く。
そんな状況の中、
僕は1つ、ギター関連の商品を作ってみた。
試しに、というかダメ元だ。
ダメ元でメルマガで紹介してみる。
「僕がギターで悩んだところを悩まずに弾けるようになります!」
「あなたも曲が作れるようになります!」
「初心者なら、まずこのギターレッスンを学んでみてください!」
あの手この手でメルマガで商品を紹介してみる。
・・・
読者によっては開封してくれたり、
商品を紹介するページをクリックしてくれたりするものの、
ほぼ反応がない。
マジか・・・・・・。
たった100アクセスを集めるのにこれだけ苦労した。
そして今度はメルマガでこんなに無反応なの??
絶望した。
「やっぱりメルマガなんかじゃ売れないんじゃないか?」
そう思って、
ブログに直接商品を紹介してみても
売れるどころかクリックもされない。
マジかよ。。
こんなに大変なの・・・???
正直バンドどころじゃないだろこれ。
今までとおり会社の給料で稼いで
バンドはバンドでうまくやりくりしていく方が幸せなのか?
結局僕は「趣味で音楽をやっているサラリーマン」から抜け出せないのか?
また本末転倒なことを思い始めてしまう。
しかしまた僕は思う。
「5万払ったんだぞ?」
「ここまでやってきてさじを投げるのか?」
「今までの時間ムダじゃないか」
「周りにバカにされながら一生懸命やってきたのに・・・」
そんな思いが交錯する。
「ビジネス」つまり「商売」の大変さをここに来て心底味わされた。
まさに「最大の試練」ともいえる状況だった。
彼女とゲーセンにいた時に届いた一通のメール。
相変わらず日々は同じ。
この頃には「出世」という名目ではあったものの。
通勤1時間半以上かかる店舗へ異動になった。
朝5時20分あたりに起床し、大急ぎで支度。
そして6時ちょうどくらいの電車に乗る。
すると7時半過ぎに勤務地に到着だ。
そして朝8時から勤務開始。
普段は17時で退勤だが、店長いや店長を統括するような立場だった手前17時なんかで帰れるわけもない。
だいたい無理なく帰れるのが19時だ。
そして正直言って仕事自体は楽しい。
余計なことを忘れさせてくれるから…というのがたぶん一番しっくり来る回答だったように思う。
「サラリーマンしかやっていない人って、どれだけ気楽なんだろう」
…と思うことなんて何回もあった。
むしろ「じゃあ俺もそうすればいいじゃないか」
すでに一度音楽にケリつけたのは自分だろ?
そう自分に言い聞かせようとしても、
やはりどこかで「俺はバンドマンとしてずっと生きてきたんだ」
「いつかきっと、また音楽で生きていく人間になれるはず」という気持ちが芽生えてしまう。
僕が買った教材の男がいうには
「毎日メルマガは配信しよう」と。
その男からも当然日々メルマガは届く。
その内容を参考にしながら
僕も毎日読者にメルマガを配信していく。
メールに載せたURLのクリックもさることながら
そもそも開封すらあまりされていない。
ブログもアクセスが軌道に乗ったからといって
すぐに放置してOKという程のアクセスでもない。
ブログも日々更新しながら、
ブログの片手間にメルマガも配信。
このときの正直な気持ちが
「こんなの誰か読んでるのか??」
「これ配信して何か意味があるのか??」
こんな気持だった。
ある日、
僕の商品を売ってみよう。
それも、男から教わったように
・期限を決め、
・価格も決めた期間とその後の期間で変え、
・特典もつけて
日を追ってメールを配信していった。
実は過去にもそれとなく商品を紹介してみたものの
開封され、クリックもされたうえで買われなかった。
そんな中での再販だ。
送る読者も大して増えていない。
こう思ったとき
「正直売れるワケがない。」
完全に気持ちはこの一択だった。
そして販売開始日。
夜19時にメールが届くようにセットし、
5%くらいはワクワクしながら
メールの反応を待つ。
・・・
まったく売れない。
売れないというか、
相変わらず開封もされない。
まあいいか。
とりあえず最後までメール配信しよう。
どうせ誰も読んでないなら
逆に好きなように送ってしまえばいい。
半ば投げやりな感じでもあった。
ある日の夜。
仕事を終え、地元である吉祥寺に着くなり彼女と合流。
そのまま一緒に食事へ向かった。
今は19時。約1時間後にはまたメルマガが読者に配信される。
このメルマガは昨日の夜に事前に書いておいて
今日の20時にセットしておいた。
そんなことを思いながら、僕らが週3くらいで通っているラーメン屋に向かう。
たらふく食べた後、食後の休憩と言わんばかりに、帰り道にあるゲーセンに寄ってメダルゲームをしていた。
ふとスマホのバイブが鳴る。
(あぁ、店から連絡かなぁ〜)
くらいに思ってスマホを見たら
「注文が入りました!」
!?
メダルゲームそっちのけで
大急ぎでメールを確認した。
・・・売れたのだ!
僕が作った商品が
僕が毎日配信していたメルマガの一通から
メールを読んで
中身の販売ページもクリックして
販売ページを読んで
そのうえで「購入」を決めてくれた人が現れた。
・・・信じられなかった。
何が購入の決め手だったのか?
しかも価格は3万円する商品だった。
自分でも何が起こったのか理解するまで時間がかかった。
とにかく歓喜と驚きが隠せない。
ネガティブが一瞬で覆った瞬間
「注文が入りました!」
このメールをもらってから
僕は現実が受け入れられずにいた。
何度もメールを読み直し
「注文」がまだ「問い合わせ」段階だったり、
そういう可能性はないか?
何度も何度も確認した。
いや、売れていた・・・!
大急ぎで彼女に報告する。
「ねぇ!メルマガから商品が売れたよ!!」
彼女「え?!いくらの商品が売れたの?」
「3万円」
彼女「えぇ?!すごいじゃん」
翌日、職場でも
ビジネスの話をしていた同僚に報告。
「マジで?!よかったじゃん!」
今まで「怪しい何かにハマったんじゃないか」
「何か騙されているんじゃないか」
そんなことばかり言われて
肩身の狭かった僕が
初めて胸を張って「ビジネス」を実感した日だった。
ブログというネットでのメディアで
閲覧者が現れて、
その中からより詳しく知りたい人がメルマガを登録してくれて
僕の何気ないメールを読んで、
僕があるとき商品を紹介して、買っていただく。
こんな非現実的というか
今まで「雇用」という形でしか稼ぎ方を知らなかった僕からしたら
「こんなことでお金が入ってくるの?」
「うわ‥本当に口座に振り込まれた」
という気持ちになった。
そりゃそうだ。
普段は朝5時半に起きて
1時間半以上かけて出勤して
ひどいときには23時まで働く。
そして帰宅は1時を過ぎる。
そこから風呂を入って軽く食事して
また明日も5時半起き。。。
その中で「自分はあくまでも音楽家」ということを必死に保ちたかったのだろう。
趣味とはいえ一生懸命バンドもやって
給料日直後には残高には雀の涙のような生活。
初めてそこから脱出できる可能性を強く感じた瞬間だった。
0→1を達成したことで一気に視野が広がった
そんな歓喜の一日だったとはいえ、
明日はいつも通り出勤だ。
なんなら3日後にはバンドのスタジオがあって
数日後にはライブがある。
この日もいつも通りの出勤後の夜だ。
でも、
「ネットから売上があがった」
という事実が、今までとおりの毎日すら光って見える。
絶望から希望に変わると
こんなにも世界の見え方がちがうのか…
と、アニメのような話だが本当にそんな気持ちだ。
要は、僕はこの日「ビジネス」でゼロから「1」を達成したのだ。
つまり、自分が今までやってきたビジネスモデルが成功したということだ。
まぐれだったかもしれない。
たった1人かもしれない。
でも、例の男は教えてくれていた。
「ビジネスは結果がすべて」
「売れなきゃ意味がない」
「売れて初めて成功」
僕はここでビジネスを成功させたわけだ。
こうなると、
ヘンな話、同じビジネスを学びたい人に「教える」ことすらできる。
今までブログとメルマガにしか目線が向いていなかったが
ここにきて色んなことに視野を広げられるようになった。
サポートバンドのスタジオで気づいたこと
ある日の夜、サポートバンドのスタジオリハがあった。
この日は予め予定がわかっていたため、シフトを調整して会社の仕事を14時で切り上げた。
いかんせん帰宅するまでに1時間半かかるのだ。
定時である17時にサクッと退社したって、最寄り駅に着くのが18時半。
そこから家に帰り機材を持って家を出ようとするともはや19時を超える。
そうなってくると普通のシフトではなかなかリハには間に合わない。
実は僕が「店長」的な立場まで頑張った理由は「自由にシフトを支配できる立場」になることで、バンドと仕事を両立できるからだ。
さて、脱線したが
ある日の夜、バンド練習でスタジオに行く。
まあ、普段通りよくあるスタジオリハだ。
次のライブ、アンケートはどうしようか?
次回は誰が来そうか?
曲順はどうしようか?
聞いている限り、
僕が散々経験してきた通り、チケットノルマ全額がほぼ確定しているライブの入念な打ち合わせだ。
しかし僕はすでに、
バンドのおかしな点に色々気づくようになった。
「そもそもこのバンドのコンセプトって何だろう?」
「誰を呼ぼうとしているのか?」
「また数合わせで身内ばかりを呼ぶのか??」
「そもそもその相手は僕らのバンドが好きなのか?」
「一時しのぎ的な身内ライブじゃダメだ。」
アンケート取るなら
絶対に年齢と性別だ。
ここさえ分かれば自分たちのバンドのターゲット層がわかる。
あとはその年代の男か女か、
「ペルソナ」を作って考えていけばいい。
なぜ、ライブに呼ぶお客さんとメアドを直接交換して
ライブ告知しかメールしなかったんだ?
来るわけがない。
ってか、
そもそもメルマガが使えるんじゃないか?
・・・
「あ!!!!」
ここで唐突に閃いた。
僕が学んで実践してきたビジネスって
完全にバンド活動でも使える。
なぜなら、僕がやってきたことは「マーケティング」だ。
商品を売るというのはバンドも「チケット」と「ライブ」を売るわけだ。
同じ「ビジネス」として考えても
活用できないワケがない。
ちょっと考えるだけでも
バンドのファンが増えるイメージしか浮かばない。
その後も順調に僕の「コンテンツ」が売れるようになっていった。
すでに当時のバイトの給料以上の金額を
「ビジネス」
「マーケティング」
から売り上げている。
僕の作り出した商品=コンテンツが
まさか自分の生活を支えてくれるなんて、思ってもみなかった。
僕が学んだことを実際に実践してもらってみた結果…
結局、先ほど話したバンドはメンバーが一人脱退してしまい、解散。
その後僕は自分のバンドで…というよりは
主に裏方にまわり、僕と同じようなツライ日々を送るアーティストへのサポートに力を入れるようになっていった。
なぜならあの日に閃いたことが、本当に正しいのか?
これを確かめたかったから。
当時まだまだ実績もないので、3組のアーティストを無償でサポートしていた。
1組はソロアーティスト。
もう2組はバンドやユニットといった複数の人数で活動する形態だ。
やることはさほど大掛かりではなく、
ゼロから今の活動を見直して
アーティストとしてのコンセプトはなにか?
コンセプトに合う客層=ターゲットはどんな人か?
どのくらい収益を上げたいのか?
つまりライブ動員やグッズなどの「コンテンツ」をどのくらい売り上げたいのか?
こういう基礎から教えて、
その人の人間性も考えつつ、活動の方向性を一緒に決める。
そこが決まれば、
あとは定期的に来るチャット連絡に対してアドバイスを返す。
この程度だった。
しかし案の定、
アーティストさんたちは、
明らかに僕が走ってきた道のり以上に簡単にファンを獲得していった。
YouTubeでも決してバズるほどの人気チャンネルというわけではないが、
悲惨な再生回数を繰り返すようなチャンネルにはならず、無事に10人、20人と少しずつメルマガ読者にもなってくれて、
YouTube→メルマガ→ライブやグッズ、音源の購入
あるいは
ブログ→メルマガ→ライブやグッズ、音源の購入
こういった仕組みを構築し、先の見えない活動からは脱してあげることができた。
ここでやはり僕が学んできた「ビジネス」
当初は「カネを稼ぎたい」という動機から始めたものだったが、
まさかバンド活動で活かせることになるなんて、夢にも思わなかった。
さらに、
まさか自分がアーティストに「教える」なんていう立場になることも、まったく想像していなかった。
はじめから知ってたら決して僕のような遠回りはしない。
思い返せば、
ビジネスを学んでからバンドを始めていたらどれだけ良かっただろうか?
19歳から本格的に「フリーター」と「バンドマン」という人生と選択して、何もわからないまま何年間も地元で過ごし、たまたま出会えた素晴らしいメンバー達とバンドを組んでインディーズ、メジャーと経験してきた。
しかし結局「ビジネス」「マーケティング」という言葉を知らないために「事務所に入る」「レコード会社に声をかけてもらう」という「他人に依存する」選択肢しか選べなかった。
そして選ばれることなく、僕は一旦身を引いてサラリーマンの道を歩んだ。
もしはじめから「音楽で食っていく=ビジネス」ということを知っていたら、こんな10年近い活動がどれだけ変わっただろうか?
偽善者っぽくみえるかもしれないが、
僕は「ビジネス」や「マーケティング」を知らないバンドマンを正直助けてやりたい。
だって、やみくもに活動したって先が見えている。
結局夢半ばバンドは解散して、
生活に困って就職して、サラリーマンやOLという姿に変わってしまうのがわかっているから。
逆に、バンドというものが完全に夢じゃなくなってしまっても、
「雇用」ではない「自分のチカラで稼ぐ」というスキルがあるだけでもだいぶ安心できないだろうか。
だって、バイトの頃は低い時給で買い叩かれ、そのくせ理不尽な雇用契約だ。
そして正社員になったとしてもボーナスも大した金額なんて出ない起業が増えてきている。
「コンビニの夜勤を週6日やったほうがよっぽど稼げる」みたいなグチを正社員がこぼすような時代。
そんな思いをしなくて済むんだから。
今はネットで仕事を探すことができる。
想像してみるとわかるが・・・
職場に行って8時間働いて1時間休憩。
9時間拘束されて、家に帰る。
これ、当然のようにみんなやっているけど、
朝起きてから出勤→会社に着くまでと
仕事が終わって退勤→自宅に着くまで。
それぞれ1時間前後はかかると思う。
そう考えると、
1日24時間という限られた時間のうち
「11時間以上」は時間を使ってしまっている。
さらに睡眠で7時間だとする。
食事で1時間。
風呂やその他で1時間。
普段の生活をするだけで
少なく見積もっても20時間近く時間を使うわけだ。
ネットのビジネスを学んだからこそいいたい。
朝起きて出勤もしない。
当然退勤もない。
4時間や6時間程度集中して仕事をするだけで
バイトの日給と同等のカネを稼げる。
そしたらどうだろう?
普段の生活の時間をどれだけ自由に使えるだろうか?
強いていえば、
「人と会話をする」というのはとても大事だと思っている。
毎日毎日家にこもって仕事をすることが向いていない人もいるかもしれない。
そういう人は
ぜひ、週1日でも2日でも人と関わるバイトをしよう。
それは「カネを稼ぐため」ではなく「自分の精神状態を良くするため」だ。
そうやって、
毎日の「時間」を僕は自由に選択して生きている。
バンドをもう一度始めるなら
十分な時間が保てる。
こんな環境を
ぜひ、20代前半のうちから固めていって
僕のように何年もムダな毎日を送らないで欲しい。
そのための「ビジネス」であり「マーケティング」である。
だから僕は、
今まで学んできたものを「音楽家」のためにすべてを見直して
すべてを僕なりに仕組み化して、「マーケティング」を構築してみた。
それが「バンドマーケティング2.0」だ。
ぜひ、あなたも体感してみてください。
↓無料でバンドマーケティング2.0を学べる動画講座はこちらから↓